【寺院】磯長山 叡福寺(太子町)
叡福寺
「叡福寺(えいふくじ)」は、大阪府南河内郡太子町太子にある寺院で、山号は磯長山(しながさん)です。地名の由来でもある聖徳太子(厩戸皇子)の墓所とされる磯長墓(しながのはか)があることで有名です。
叡福寺は四天王寺、法隆寺と共に太子信仰の中核をなす寺院で、古くから「上の太子」とも呼ばれ、「中の太子」こと羽曳野市の野中寺、「下の太子」こと八尾市の大聖勝軍寺とともに、「河内三太子」として多くの人々の巡礼を受けました。また、周辺には天皇陵を含む多くの古墳や旧跡があり、日本最古の官道「竹内街道」も通っています。
現在の叡福寺は真言宗系の単立寺院で太子宗を名乗っており、本尊は聖如意輪観世音菩薩です。正確な創建年は不明ですが、寺伝によると、聖徳太子は生前の推古天皇28年(620年)にこの地を墓所と定め御廟を造営したそうで、翌推古天皇29年(621年)に生母の穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后が没するとここに葬られました。
さらに翌年には、相次いで没した聖徳太子と妃の膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)が追葬されたといわれ、聖徳太子の没後、伯母にあたる推古天皇が陵墓を守護し追福を営むために土地を寄進し、堂を建てたのが叡福寺の始まりとされています。
また、当寺院の向かい(南側)には聖徳太子の3人の乳母を祀り日本最初の尼寺とされる西方院が、500mほど南東には聖徳太子の父である用明天皇の陵があります。
●叡福寺について詳しくは →http://kininarugou.blogspot.com/2018/01/blog-post_16.html
さらに翌年には、相次いで没した聖徳太子と妃の膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)が追葬されたといわれ、聖徳太子の没後、伯母にあたる推古天皇が陵墓を守護し追福を営むために土地を寄進し、堂を建てたのが叡福寺の始まりとされています。
また、当寺院の向かい(南側)には聖徳太子の3人の乳母を祀り日本最初の尼寺とされる西方院が、500mほど南東には聖徳太子の父である用明天皇の陵があります。
●叡福寺について詳しくは →http://kininarugou.blogspot.com/2018/01/blog-post_16.html
アクセス
公共交通機関を利用する場合、近鉄南大阪線上ノ太子駅、または長野線喜志駅から金剛バスで「太子前」バス停下車すぐ。
車でわかり易いコースは国道170号線(外環状線)で富田林市の「旭ヶ丘」交差点を目指し、大阪市内や藤井寺、羽曳野方面からは左折、河内長野、富田林方面からは右折します。喜志駅前の踏切を渡り少し行くと「喜志」交差点(五叉路)に出るので、右斜め前方へ。後は道なりに3km弱進んだ左側です。途中、河南橋で石川を渡り、「太子」交差点を通ります。
奈良県側からの場合、穴虫峠を越えるルートでは太子町の「六枚橋」交差点を右折、竹内峠からの場合は国道166号線を下り「六枚橋」交差点を左折します。後は太子町役場を過ぎ、「叡福寺東」交差点を越えて少し進んだ右側です。駐車場は無料。
車でわかり易いコースは国道170号線(外環状線)で富田林市の「旭ヶ丘」交差点を目指し、大阪市内や藤井寺、羽曳野方面からは左折、河内長野、富田林方面からは右折します。喜志駅前の踏切を渡り少し行くと「喜志」交差点(五叉路)に出るので、右斜め前方へ。後は道なりに3km弱進んだ左側です。途中、河南橋で石川を渡り、「太子」交差点を通ります。
奈良県側からの場合、穴虫峠を越えるルートでは太子町の「六枚橋」交差点を右折、竹内峠からの場合は国道166号線を下り「六枚橋」交差点を左折します。後は太子町役場を過ぎ、「叡福寺東」交差点を越えて少し進んだ右側です。駐車場は無料。
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