【史跡】寄手塚・身方塚(南河内郡千早赤阪村)

寄手塚・身方塚

「寄手塚・身方塚」は、大阪府南河内郡千早赤阪村大字森屋にある2基の五輪塔です。これらは、鎌倉時代末期にこの辺りを根拠地としていた武将、大楠公こと楠木正成が、千早赤阪周辺での戦いで亡くなった人を弔うために建てたと伝わる供養塔で、鎌倉時代末期に幕府が大軍をもって攻め込むも翻弄された赤坂城(下赤坂城)跡の碑から真北に約1kmの距離にあります。なお、塔の周囲は地域の方々の墓地となっていて、この墓地は金剛山を望む高台の上にあります。

地元では、これらの塚が「敵」という字ではなく「寄手」としていること、また味方を弔った「身方塚」より「寄手塚」の方が大きいことなどから、楠木正成が戦の名人というだけでなく、情に厚く奥ゆかしい人物であった証とされていて、敵味方分け隔てなく弔ったとされる大楠公の人となりを感じることが出来る史跡です。

●寄手塚・身方塚について詳しくは →https://kininarugou.blogspot.com/2020/01/yosetezukamikatazuka.html

アクセス

河南町の「道の駅かなん」の少し東で国道309号と府道705号富田林五條線とが交わる「神山南」交差点から南(奈良県・千早赤阪村方面)に向かいます。約700m先の「西楽寺前」交差点を右折し、カーブしている坂道(府道202号森屋狭山線)を上り「西楽寺前」から400mほど進むと道路上に「寄手塚・身方塚」と「自然休養村管理センター」の大きな標識があるので左折。100mほど南に進むと分岐があるので左に入り、坂を道なりに約60m上ると右手に寄手塚・身方塚のある墓地が見えます。

公共交通機関の場合は、近鉄長野線「富田林」駅から金剛バスに乗り、「森屋西口」バス停で下車すると「西楽寺前」交差点のすぐ南側です。上記のコースを参考に歩くと約600mの行程となります。

2019年10月撮影

寄手塚・身方塚(南河内郡千早赤阪村)

寄手塚・身方塚(南河内郡千早赤阪村)

寄手塚・身方塚(南河内郡千早赤阪村)

寄手塚・身方塚(南河内郡千早赤阪村)

寄手塚・身方塚(南河内郡千早赤阪村)

寄手塚・身方塚(南河内郡千早赤阪村)

寄手塚・身方塚(南河内郡千早赤阪村)

寄手塚・身方塚(南河内郡千早赤阪村)

寄手塚・身方塚(南河内郡千早赤阪村)

寄手塚・身方塚(南河内郡千早赤阪村)

寄手塚・身方塚(南河内郡千早赤阪村)

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