【神社】三都神社(大阪狭山市)

三都神社

「三都神社(さんとじんじゃ)」は、大阪府大阪狭山市今熊にある神社です。日本最古のダム式ため池とされる狭山池があることで知られる大阪狭山市の南西、大阪狭山市と堺市南区との境界近くに鎮座し、かつては熊野三所権現や熊野神社と呼ばれていました。

三都神社の背後には河内国と和泉国とを分ける陶器山(とうきやま)丘陵が控えています。その尾根を通る天野街道は現在の河内長野市の天野山金剛寺への参詣道でしたが、さらにその先の紀州熊野詣でに向かう人々も多かったことから天野街道沿いの地域では熊野信仰が盛んだったようです。

三都神社の正確な創建年は不祥ですが、7世紀に創建されたとの説もあります。大阪狭山市の資料などでは、中世前期に紀伊国熊野から勧請した熊野権現を祀ったのが始まりとされており、当地に勧請された熊野三所権現は地名の由来でもある「今熊野」とも呼ばれ、金蔵寺の鎮守として祀られたようです。室町時代に兵火にあって焼失したものの、しばらく後に寺僧の諦観によって再興されました。その後、明治時代の神仏分離で金蔵寺が廃寺となり当社が残りました。

明治の初めに近代社格制度で村社に列し、1907年(明治40年)に、当時の南河内郡三都村大字岩室や茱萸木、西山、大野、山本にあった合計8つの村社を合祀しています(後に岩室の熊野神社は池之原神社として旧社地に、茱萸木の八幡神社山本の稲荷神社も旧村域内に復社しています)。

御祭神として伊弉那美命、あるいは熊野三山の主祭神である家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)、熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)、熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)とも)を祀っています。この三柱の神は順に素盞鳴尊(須佐之男尊・すさのおのみこと)、伊邪那岐命(伊奘諾尊・いざなぎのみこと)、伊邪那美命(伊奘冊尊・いざなみのみこと)と同一視されています。また、現在の三都神社境内には三都戎神社の拝殿と本殿がある他、春日社、初辰大神、熊野三宝荒神、稲荷大神、祖霊社、毘沙門天堂、吉祥水天宮といった境内社も建ち並んでいます。


三都神社の主な祭礼としては、毎年1月に別宮である三都戎神社の(関西でお馴染みの)十日えびす(えべっさん)が、10月には大阪狭山市内では狭山神社と共に多くの地車(だんじり)が宮入することで知られる秋祭り(例大祭)が行なわれ、今熊、大野、山伏、山本、隠の各地区からだんじりが出て宮入します(山本と隠は堺市中区上之の陶荒田神社との二重氏子)。


●三都神社について詳しくは →https://kininarugou.blogspot.com/2021/11/santoshrine.html


アクセス

府道34号堺狭山線の「岩室東」交差点から南に進み、400mほど先の「おわり坂」交差点を右斜め前方に入ります。後は道なりに約850m進むと右手に三都神社の石段などが見えます。石段下の文殊地蔵尊の前付近が少し広くなっていますが、参拝者の駐車が可能かどうかは不明。七五三などの時期には40mほど南の月極駐車場の一部が臨時駐車場として使えることもあるようです(案内が出ていない時は使用不可)。

公共交通機関では、大阪狭山市の市役所などから乗車できる市のコミュニティバス(さやりんバス)の「ニュータウン回り」に乗車し「三都神社前」バス停で下車すぐ。


2021年11月撮影

三都神社(大阪狭山市)


三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)

三都神社(大阪狭山市)



コメント

人気の投稿