【古墳】推古天皇陵(太子町)

推古天皇陵

「推古天皇陵」は、大阪府南河内郡太子町山田にある古墳です。宮内庁により磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)として第33代推古天皇の陵に治定されている方墳で、第30代敏達天皇とその皇后であった炊屋姫(後の推古天皇)の間に生まれた竹田皇子(たけだのみこ)も合葬されているとされ、考古学的な遺跡名としては「山田高塚古墳」と呼ばれています。

推古天皇は日本初の女帝で、聖徳太子や蘇我馬子らを用いて政治を行ったことで知られています。

推古天皇陵(山田高塚古墳)は、大阪府と奈良県との境にある二上山西麓に伸びる台地状丘陵の西端部に築かれた古墳で、昭和から平成にかけて宮内庁書陵部により墳丘の表面調査が行なわれています。

その規模は東西約59m、南北約55m、高さ約11m(東西約63m、南北約56m、高さ約12mとも)を測る方墳で、墳丘は3段築成。墳丘表面に貼石が確認されたものの埴輪は無いとされ、築造時期は6世紀末から7世紀前半頃(古墳時代末期)と考えられています。また、東西に長い墳丘の特徴から横穴式石室2基が東西に並び、いずれも南に開口していると推定されています。


江戸時代には当古墳が推古陵として認識されており、当時のガイドブックともいえる「河内名所図会」でも「推古天皇陵 山田村の領内にあり」と紹介されてる他、江戸時代に大規模な改修が行われたとされています。


推古天皇陵の北には推古天皇の時代に整備された日本最古の官道とされる竹内街道が東西に通っています。また、現在の太子町内の磯長(しなが)谷には推古天皇陵の他にも敏達天皇陵用明天皇陵孝徳天皇陵、聖徳太子墓(叡福寺内)の5つの天皇・皇族の陵墓があり、これらは梅の花びらになぞらえて「梅鉢御陵」と呼ばれています(磯長谷は「王陵の谷」と呼ぶことも)。


●推古天皇陵について詳しくは →https://kininarugou.blogspot.com/2022/03/suikotennoryokofun.html


アクセス

国道166号と府道32号美原太子線が交わる「太子町交番前」交差点から南に入り、道なりに約800m進むと左手に推古天皇陵拝所への入口があります。「推古天皇磯長山田陵」と刻まれた石標が目印です。参拝者専用駐車場は無いようです。

公共交通機関では、近鉄南大阪線「上ノ太子」駅、あるいは長野線「喜志」駅から金剛バスを利用し「推古天皇陵前」(旧御陵前)バス停で下車。南に推古天皇陵が見えるので300mほど歩くと拝所への入口があります。


2022年2月撮影

推古天皇陵(太子町)

推古天皇陵(太子町)

推古天皇陵(太子町)

推古天皇陵(太子町)

推古天皇陵(太子町)

推古天皇陵(太子町)

推古天皇陵(太子町)

推古天皇陵(太子町)

推古天皇陵(太子町)

推古天皇陵(太子町)

推古天皇陵(太子町)



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