【城跡】烏帽子形城跡(河内長野市)

烏帽子形城跡

「烏帽子形城(えぼしがたじょう)跡」は、大阪府河内長野市喜多町(一部上田町)にある城跡で国の史跡に指定されています。烏帽子形城は河内長野市の中央部、三日市地区の北端にある烏帽子形山に築かれた山城で、その東側にはかつて主要道であった高野街道が南北に通っています。

烏帽子形城は、鎌倉時代の末期の元弘2年(1332年)に後醍醐天皇の呼び掛けに応じて挙兵した楠木正成によって築かれたとされています。正成は鎌倉幕府軍を迎え撃つため、現在の南河内郡千早赤阪村から富田林市、河内長野市にかけて「楠木七城(河内七城)」と呼ばれる城砦群を築いたとされており、烏帽子形城はその一つに数えられています(上赤坂城の支城とも)。楠木小二郎がこの城に入り、城の鎮護とし創祀した社が現在の烏帽子形八幡神社といわれています。

城郭の規模は東西約180m、南北約150mほど。石垣は無く、建物も残っていませんが、二重に曲輪を取り囲んでいた空堀や土塁などといった遺構の保存状態が良く、安土桃山時代頃の山城の全容がよくわかる状態で残っています。

烏帽子形山には烏帽子形城と烏帽子形八幡神社が鎮座している他、烏帽子形古墳もありますが、現在は山の大部分が風致公園である烏帽子形公園として整備されていて、駐車場やトイレが設置され、案内板なども充実しています。

●烏帽子形城跡について詳しくは →https://kininarugou.blogspot.com/2022/05/eboshigatacastleruins.html


アクセス

烏帽子形城跡に複数ある入口(登り口)の中で駐車場やプールのあるメインの入口へは、国道371号「上田町北」交差点から西に入り、道なりに約550m進むと右手に烏帽子形城跡入口があります。

公共交通機関を利用する場合は、南海高野線「三日市町」駅などから南海バス、あるいは河内長野市のコミュニティバス(モックルコミュニティバス)に乗車し「上田」バス停で下車すると、すぐ北側に前出の「上田町北」交差点があるので左折して約550m歩きます。

また、南海高野線・近鉄長野線「河内長野」駅、あるいは南海高野線「三日市町」駅で下車し、高野街道を歩くと歴史ある街道を堪能しつつ神社や古墳の登り口から烏帽子形城跡に入ることが出来ます(烏帽子形八幡神社の記事も参照)。


2022年1月撮影

烏帽子形城跡(河内長野市)

烏帽子形城跡(河内長野市)

烏帽子形城跡(河内長野市)

烏帽子形城跡(河内長野市)

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烏帽子形城跡(河内長野市)

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