【神社】阿麻美許曾神社(大阪市東住吉区)
阿麻美許曾神社
阿麻美許曾神社(あまみこそじんじゃ)は大阪市東住吉区矢田にある神社で、延喜式神名帳に河内国丹比郡11座のうちの一つとして記載されている、いわゆる式内社。
社伝によれば、正確な創建年は不祥ながら平安時代の初期にあたる大同年間(806年~810年)の創建とされています。しかし、実際にはそれよりも古くからあったとの説も有力。
現在の御祭神は素盞鳴尊、天児屋根命、事代主命の三柱ですが、もともとは別の神が祀られていた説も。かつては「阿麻岐志(あまぎし)の宮」や「七郷の宮」、また江戸時代には神仏習合により御祭神の素盞鳴尊(牛頭天王)から「天王」とも呼ばれていました。
明治の初めまでは境内に「天見山」の山号を持つ神宮寺がありましたが、廃仏毀釈により廃寺となりました。しかし、現在も神社の南と東には同寺の山門が残っており神仏習合の歴史を見ることが出来ます。 また、境内の樹齢500年の楠の群は大阪市条例で保存樹林に指定されています。
阿麻美許曾神社は大和川左岸(南岸)の松原市の天美地区に囲まれた場所に鎮座していますが、住所は大阪市東住吉区矢田7丁目となっています。
当社は江戸時代まで河内国丹北郡枯木村(後の中河内郡矢田村)に属する神社で、氏子地域は今の矢田地区、天美地区まで広がっていたものの、宝永元年(1704年)に行われた大和川の川違え(付け替え)工事によって、大和川の新たな流路が氏子地域を南北に分断しました。この結果、南岸に残された形となった村の大半は後の松原市となる側に編入されることになりましたが、当神社は矢田村の氏神であった為に、矢田村に残留し現在に至っています。
現在の御祭神は素盞鳴尊、天児屋根命、事代主命の三柱ですが、もともとは別の神が祀られていた説も。かつては「阿麻岐志(あまぎし)の宮」や「七郷の宮」、また江戸時代には神仏習合により御祭神の素盞鳴尊(牛頭天王)から「天王」とも呼ばれていました。
明治の初めまでは境内に「天見山」の山号を持つ神宮寺がありましたが、廃仏毀釈により廃寺となりました。しかし、現在も神社の南と東には同寺の山門が残っており神仏習合の歴史を見ることが出来ます。 また、境内の樹齢500年の楠の群は大阪市条例で保存樹林に指定されています。
阿麻美許曾神社は大和川左岸(南岸)の松原市の天美地区に囲まれた場所に鎮座していますが、住所は大阪市東住吉区矢田7丁目となっています。
当社は江戸時代まで河内国丹北郡枯木村(後の中河内郡矢田村)に属する神社で、氏子地域は今の矢田地区、天美地区まで広がっていたものの、宝永元年(1704年)に行われた大和川の川違え(付け替え)工事によって、大和川の新たな流路が氏子地域を南北に分断しました。この結果、南岸に残された形となった村の大半は後の松原市となる側に編入されることになりましたが、当神社は矢田村の氏神であった為に、矢田村に残留し現在に至っています。
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