【古墳】河内大塚山古墳(松原市・羽曳野市)

河内大塚山古墳

「河内大塚山古墳(かわちおおつかやまこふん)」は、大阪府松原市および羽曳野市にある古墳です。全国第5位の規模を誇る巨大な前方後円墳ですが実際の被葬者は不明です。古墳の規模から、大王の陵とも考えられるものの宮内庁により天皇陵としては治定されず、被葬候補者を第21代雄略天皇とする「大塚陵墓参考地」に治定されています。また、世界文化遺産となった百舌鳥・古市古墳群のリストには含まれていません。

河内大塚山古墳は6世紀後半に築造されたと考えられ、墳丘長約335m、前方部の幅約230m、高さ約4m、後円部の直系約185m、高さ約20m(松原市の最高峰)となっていて、前方部は中央がやや外側に突き出すように角ばった「剣菱形」と呼ばれる珍しい形です。

近鉄南大阪線や府道12号大和高田線(ヤマタカ線)の上を阪和自動車道が跨ぐ地点の南東にあり、幅の広い水壕と緑の墳丘が美しい古墳として知られています。また、古墳内には西の松原市と東の羽曳野市の境界線が通っており、かつては集落も墳丘上にあったという少し変わった古墳ともいえます。

中世には大塚山古墳を利用して丹下(たんげ)氏が丹下城を築きました。後に城は破却されましたが城跡には村が出来ました。1925年(大正14年)に当時の宮内省により陵墓参考地とされたことから土地は買い取られ、昭和の初めまでに集落は墳丘の外に移転し、古墳内は立入禁止となりました。

古墳内の集落は東大塚村と呼ばれていましたが、古墳東側の濠の外、周濠東堤に沿うように移転したそうです。東大塚村の氏神であった「天満宮」は明治の末に古墳西側に鎮座する柴籬神社に合祀されましたが、さらにその後、羽曳野市高鷲の大津神社に合祀され現在に至ります。なお、手洗鉢は今も柴籬神社参集殿前に置かれています。

なお、大塚山古墳から3km圏内の大きな古墳としては、雄略天皇陵仲哀天皇陵津堂城山古墳黒姫山古墳などがあり、周辺の神社としては前述の柴籬神社や大津神社の他に丹下日吉神社西川八幡神社も比較的近くにあります。

●河内大塚山古墳について詳しくは →https://kininarugou.blogspot.com/2020/02/kawachiotsukayamakofun.html

アクセス

最寄り駅は近鉄南大阪線「恵我ノ荘」駅で、南口(パティスリーバロンさんのある方)から線路沿いを北西(阿部野橋駅方面)に150mほど歩いて道なりに左に折れ、さらに約200m進むと羽曳野市側の説明板の前に出ます。

「河内松原」駅前を通る府道12号からは「西大塚1丁目」交差点(同駅の東約800m)を南に入り100mほど進むと大塚山古墳が見えてきます。

河内大塚山古墳に駐車場は無いので、車で行く場合は両駅周辺などでコインパーキングを利用するのが良いと思われます。

2019年10月撮影

河内大塚山古墳(松原市・羽曳野市)

河内大塚山古墳(松原市・羽曳野市)

河内大塚山古墳(松原市・羽曳野市)

河内大塚山古墳(松原市・羽曳野市)

河内大塚山古墳(松原市・羽曳野市)

河内大塚山古墳(松原市・羽曳野市)

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河内大塚山古墳(松原市・羽曳野市)

河内大塚山古墳(松原市・羽曳野市)

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