【神社】青賀原神社(河内長野市)
青賀原神社
「青賀原神社(あおがはらじんじゃ)」は、大阪府河内長野市下里町にある神社です。鎮座地である下里町は河内長野市の北西部に位置していますが、ここは旧河内国のほぼ南西端で、神社の裏手には和泉国との国境がありました(現在は河内長野市と和泉市の市境)。また、下里町はかつて河内国錦部郡下里村と呼ばれていましたが、周辺には南北朝時代の南朝の最重要拠点の一つで女人高野とも呼ばれた天野山金剛寺もあります。
社伝によると、青賀原神社の創建は1180年(治承4年)で、現在の御祭神は丹生大明神、高野大明神、久爾津神、稲荷大明神となっていますが、境内の由緒記から、そこに祀られている丹生大明神は784年(延暦3年)に高野山と関わりの深い紀伊国伊都郡の天野の里(現在の和歌山県伊都郡かつらぎ町の一部。丹生都比売神社あり)から奉還安置された神で、天照大御神の弟神である月読之尊(つくよみのみこと。月読命とも)と同一神と伝えられていることがわかります。
明治に入ると近代社格制度で村社に列格しますが、1907年(明治40年)に当時の南河内郡天野村大字天野山字高瀬の村社高瀬神社と共に、天野村大字小山田字尾上山にある郷社清崎神社(現在の住吉神社)に合祀されました。大阪府全志では「青ヶ原神社」表記で御祭神は国津神、高龗神(たかおかみのかみ。詳しくは大祁於賀美神社の記事参照)、保食神となっています。
住吉神社への合祀後も旧社地には江戸時代の初め頃に建立されたとされる社殿が残され、旧下里村住民によって祭祀が続けられたようです。現在の境内には昭和や平成に奉納された灯篭なども。
青賀原神社は天野谷を流れる天野川(正式名称:西除川)左岸の下里集落の北東側に鎮座し、周囲は長閑な田園風景と鎮守の杜、比較的新しく広大な総合運動施設に囲まれています。下里総合運動場東側の道路沿いに青賀原神社の南側参道入口がありますが、旧下里村の集落から北東に伸び、神社の南西に至る道が本来の表参道のようです。
境内には遊具が置かれ公園のようになっていますが、社殿はその少し奥にあり周りを塀で囲われています。江戸時代初期に造営されたとみられる本殿は美しく、境内も含め地域の人々により綺麗に手入れされている神社といえます。
●青賀原神社について詳しくは →https://kininarugou.blogspot.com/2021/08/aogaharashrine.html
アクセス
国道170号(外環状線)の天野山第1トンネルと第2トンネルの間から金剛寺方面に向かい、「天野山金剛寺前」交差点を右折。国道170号(旧道)を北に400mほど進んで左折し金剛寺駐車場や下里総合運動場・下里運動公園人工芝球技場(現在はコノミヤ・スペランツァ球技場(スペランツァ河内長野フィールド))方面に向かいます。そのまま2車線道路を道なりに約2km進み下里総合運動場手前で左にカーブすると100mほど先に青賀原神社南側の入口があります。
神社入口付近の道路脇に駐車出来そうなスペースがありますが、参拝者用駐車場として利用可能かは不明です。
公共交通機関では、南海バスの「下里口」バス停で下車し約70m北東の「市立天野公民館」の標識のある交差点から北に1kmほど進み突き当りを右折。約50m先の下里橋を渡ってすぐ左折し、高橋を渡ると右手に上記の下里総合運動場が見えるので運動場方面に向かい、運動場のフェンスに沿って100mほど進むと左手に神社の入口があります。
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