【古墳】蔵塚古墳(羽曳野市)

蔵塚古墳

「蔵塚古墳」は、大阪府羽曳野市飛鳥にかつてあった古墳です。2019年(令和元年)に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された、羽曳野市と藤井寺市に跨り巨大な応神天皇陵などを擁する古市古墳群からは2kmほど離れた羽曳野市東部にあり、南阪奈道路建設に伴う事前調査で発見されました。

蔵塚古墳の周辺はかつて近つ飛鳥と呼ばれた地域で、石川の支流である飛鳥川の北には難波の津と大和国を結ぶ日本最古の官道とされる竹内街道が通り、その沿線には飛鳥千塚古墳群などの群集墳が広がっていることが知られていましたが、当古墳は飛鳥川の南にあり長らく存在は知られていませんでした(ただし、字名は古墳の存在を連想させる「蔵塚」でした)。

南阪奈道路建設予定地には駒ヶ谷遺跡など多くの遺跡や遺物の散布地の存在が知られていたため、1970年代から何度か調査が行なわれ、その際に未知の前方後円墳が発見され小字名から「蔵塚古墳」と名付けられましたました。

本格的な調査は1996年(平成8年)から翌年まで行われ、蔵塚古墳は前方部を西北西に向けた前方後円墳で、墳丘長約53.5m、周濠まで含めると総長約68.9m、後円部径約33.4m、前方部長約20.1m、前方部幅は推定で45m以上、盾形の周濠は幅約8mという規模だったことが判明しました。墳丘の削平は著しく、石室などの埋葬施設が全く遺っておらず、墳丘上の埴輪列や葺石も残存していませんでしたが、墳丘盛土内の須恵器や周濠から出土した数点の須恵器と埴輪片から築造年代の上限は6世紀中頃と推定されています。

また、この調査では土嚢を積み上げて区割した部分に盛土しながら墳丘を築造するという当時の墳丘盛土工法の様相が判明しています。


※当記事の写真は蔵塚古墳推定地付近の様子です。訪問時、現地に説明板などは無かったので大阪府立狭山池博物館に展示されている蔵塚古墳発掘調査時の写真も添付しています(最後の2枚)。

●蔵塚古墳について詳しくは →https://kininarugou.blogspot.com/2021/03/kurazukakofun.html


アクセス

蔵塚古墳は、近鉄南大阪線「上ノ太子」駅南側を通る南阪奈道路高架下の「上ノ太子駅前」交差点から西に約800m付近にあったと推定されます。石川方面からは、同じく南阪奈道路高架下の「羽曳野大橋東詰」交差点から道なりに約1.4km東に進んだ付近です。

2021年2月撮影

蔵塚古墳(羽曳野市)

蔵塚古墳(羽曳野市)

蔵塚古墳(羽曳野市)

蔵塚古墳(羽曳野市)

蔵塚古墳(羽曳野市)

蔵塚古墳(羽曳野市)

蔵塚古墳(羽曳野市)

蔵塚古墳(羽曳野市)

蔵塚古墳(羽曳野市)

蔵塚古墳(羽曳野市)




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