【寺院】仲津山 極楽寺(藤井寺市)
極楽寺
「極楽寺(ごくらくじ)」は、大阪府藤井寺市沢田にある寺院です。宗派は浄土真宗本願寺派で、山号は大阪府全志によると仲津山となっています。その所在地は藤井寺市の中でも交通量の多い国道170号(外環状線)と国道170号(旧道)のほぼ中間、府道12号堺大和高田線(ヤマタカ線)の南側で、そばには澤田八幡神社や仲姫命陵(仲津山古墳)があります。
門前に掲げられた藤井寺市教育委員会による説明板によると、極楽寺は1612年(慶長17年)に本多道正によって開基したと伝えられていますが、創建はその父である本多権右衛門正次とあります。
正次は徳川家康、秀忠の家臣として有名な本多正信の曽祖父忠正の4代目の子孫と伝えられており、徳川秀忠の娘千姫が1604年(慶長9年)に大坂御入輿(豊臣秀吉の遺言により子の秀頼に輿入)の際に随伴して来た人物のようです。その後、正次は浄土真宗の本願寺(東本願寺)第12代法主である教如上人の弟子となって道願と名乗り、子の道正と共にこの極楽寺に関わったようで、寺には本多家の家紋である「立ち葵」の軒瓦が葺かれています。
元禄期には梁行八間桁行九間の瓦葺の本堂があったと記録されています。現在の本堂は元禄期の本堂と同規模であり、仏壇まわりの柱や外陣表側の柱の一部、内外陣境蟇股などに江戸時代前期に遡る部材が使用さrています。外陣内部及び外部廻りの虹梁や斗供などの絵様、繰形は宝永頃の様式的特徴を持ち、鐘堂や鼓楼門・薬医門は1728年(享保13年)に建立されています。
また、極楽寺の仏壇の裏側からは、豊臣秀頼の位牌と徳川家康・秀忠・家光・家綱の江戸幕府初代から4代までの将軍の二つの位牌が発見され話題となりました。
大阪府全志には所在地の字名が屋敷中で、本尊は阿弥陀仏であり、道願の嫡子道證の代の1667年(寛文7年)に西本願寺に転じたとあります。
極楽寺から50mほど南東に歩くと、境内の中を近鉄線が横切り踏切もあることで知られる澤田八幡神社が鎮座し、さらにその南には、極楽寺の山号の由来となったと思われる巨大前方後円墳の仲姫命陵があります。
説明板の古い絵図(境内図)を見ると、極楽寺はかつてかなりの広さがあったように見えます。今回は門扉が閉まっていたので写真は境外からの撮影となっています。3枚目以降東側にある山門前を南から北に歩きました。
アクセス
近鉄南大阪線「土師ノ里」駅改札前の国道170号(旧道)と府道12号堺大和高田線(ヤマタカ線)が交わる「土師の里」交差点から府道を西に約400m進んで左折するとすぐです。
国道170号(外環状線)「沢田」交差点からは府道12号を東に進んで約400m先を右に入ると極楽寺があります。
駐車場の有無は不明です。
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