【神社】大伴黒主神社(富田林市)
大伴黒主神社
「大伴黒主神社(おおとものくろぬしじんじゃ)」は、大阪府富田林市山中田町(やまちゅうだちょう)にある神社です。富田林東部の丘陵北端に位置する山中田集落と丘の上の新興住宅地の境目付近に鎮座していますが、大伴黒主神社のある山中田町周辺には北大伴町や南大伴町といった古代豪族とのつながりを連想させる地名があります。南に広がる丘陵には多数の古墳があることがわかっており、さらに南には河南町の寛弘寺古墳公園もあります。
地元の伝承などによると、大伴黒主神社の創建は江戸時代後期の1826年(文政9年)頃とされ、御祭神は社名にもなっている大伴黒主で、大伴神社や黒主神社とも呼ばれるようです。大伴黒主(生没年不詳)は平安時代の歌人・官人で、「古今和歌集」の序文に記された六人の代表的な歌人、いわゆる六歌仙の一人です。
創建の経緯については、かつて河内国石川郡山中田村で田畑を広げるため村内にあった大伴黒主夫婦の墓といわれる「夫婦塚」を山中田の村民一同が開墾すると、黒蛇が土中から出現し山中田村に逃げ入り、その後村で大火災が発生し半数が焼失したそうです。これを大伴黒主の祟りと考えた山中田の住民はその南方の山に祠を建立し、以後村の氏神として祀ったのが始まりとされています。
1909年(明治42年)に美具久留御魂神社に合祀されましたが、1957年(昭和32年)山中田に復社。2001年(平成13年)に周辺の宅地(かがり台)開発に伴い現在地に遷座しました(この際、一時的に河南町の壹須何(一須加)神社内の仮社にて祀られたそうです)。
●大伴黒主神社について詳しくは →https://kininarugou.blogspot.com/2020/03/otomonokuronushishrine.html
アクセス
国道170号(旧道)「本町」交差点から府道705富田林五條線を南東に約1.8km進み(石川、佐備川を越えます)、メインの道路がY字路(コスモ石油南大伴SS前)になる手前で、右に「山中田町会館」の案内看板があるのでその矢印通りに右折します。さらに道なりに180mほど進むと左手に町会館の看板が見えるので左折して住宅街に入り、すぐに右折、さらに左折します。少し進むと正面に壁画やだんじり小屋が見えてくるので、だんじり小屋の前を左に進み坂を上ると大伴黒主神社下の町会館前に着きます。町会館前などに少し広場がありますが駐車可能かは不明です。
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