【史跡】東山菅原神社跡(河南町)

東山菅原神社跡

「東山菅原神社跡(ひがしやますがわらじんじゃあと)」は、大阪府南河内郡河南町東山にある、かつての神社跡を示す石碑です。東山菅原神社は旧河内国石川郡東山村の鎮守でした。

現地の「東山菅原神社由緒」碑などによると、1692年(元禄5年)の「寺社改付込帳」に東山村の鎮守は「大自在天神社」となっていますが、一般的に「菅原神社」と呼ばれていたそうです。1632年(寛永9年)から記された「お宮きしん帳」によると、菅原神社には瑞垣、本殿、拝殿、石鳥居、狛犬などの他、石段や寄進された石灯籠12本(基)以上が立ち並び、宮付けの山地まである立派な神社だったようです。ちなみに、当社跡周辺には東山遺跡が、南東側には一須賀古墳群が広がっていました。

東山村周辺の歴史を見ると、1889年(明治22年)に石川郡大ヶ塚村、山城村、一須賀村の区域と合わせて石川村が発足し、1896年(明治29年)には所属郡が南河内郡に変更されています。当時の東山菅原神社所在地は南河内郡石川村大字東山字上條となっており、菅原道真(天滿大自在天神)、天照皇大神、八幡大神を祀っていたようです。1907年(明治40年)、神社合祀政策により大伴村大字南大伴の降幡神社と共に、石碑から500mほど南西にある現河南町一須賀の式内社、壹須何神社に合祀されています。なお、石川村は1956年(昭和31年)に白木村、河内村、中村と合併して河南町となっています。

現在は、旧東山集落の南東に当たる丘の上に「東山菅原神社跡」の碑と由緒碑が北東を向いて設置されており、旧社地は畑や果樹園、緑地となっているようです。また、関連は不明ですが集落内の角に古く大きな「御寶前」、「氏子中」と彫られた石灯籠があり、石碑への上り口付近の道のわきに小さな鳥居のある祠もありました。

なお、石碑の30mほど東側は大阪芸術大学の敷地となっており、2021年(令和3年)には西洋の城を彷彿とさせるキャラクター造形学科の校舎が間近に完成しました。

アクセス

府道27号柏原駒ヶ谷千早赤阪線の「一須賀」交差点から府道33号富田林太子線を東に進み、「一須賀東」交差点を左折し北に。100mほど進み(途中、中之橋を渡ります)「御寶前」の石灯籠の角を右に入り、さらに約90m進み左折。曲がりくねった坂道を道なりに130mほど上ると視界が開け、東山菅原神社跡の石碑があります。

近鉄長野線「富田林」駅、または「喜志」駅から金剛バスに乗り「阪南一須賀」バス停で下車。東に100m少々進むと「一須賀東」交差点があります。

集落内から石碑周辺への道路は狭いですが、府道33号「大宝」交差点から北に進んで左折するコースでは比較的余裕のある道幅です。なお、周辺に駐車場はありません。

2020年4月撮影

東山菅原神社跡(河南町)

東山菅原神社跡(河南町)

東山菅原神社跡(河南町)

東山菅原神社跡(河南町)

東山菅原神社跡(河南町)


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